幼馴染と同級生の宴~忘れていた古いニックネーム

私のこと

 小学生の頃から、一緒に遊んでいた幼馴染が帰省してきました。

幼馴染との再会

 幼馴染とは、中学生時代には同じ軟式テニス部に所属し、多感な頃を遊んだり喧嘩したりして過ごしました。そして、同じ高校に進学しました。そして、幼馴染は現在横浜住まい。なかなか会うことができません。

 アラ還になって、つるみ始めた社交的な同級生から「〇ちゃんが帰ってくるよ~」との連絡があり、同級生が集まる宴に出席しました。これを機に、私が東京に出張する際、同級生を集めて宴を催してくれたりしました。今回は、再びのお久しぶりです。

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 場所は、同級生が経営するハンバーグとお好み焼きのお店です。ちょっとに人数が集まる同級生の宴はいつもここです。

幼馴染が参加したウォーキング

 幼馴染は、地元のシンボルだった橋が、重要文化財に指定されたことを記念して開催されたウォーキングに、参加してきたとのことです。「ひや~、横浜にまでこのイベントが伝わっていたの?」と尋ねると、同級生から誘われて、行ってみたそうです。まあ、そうですよね。

 あの参加資格を複数枚手に入れた人が身近にいたなんて、知らなかった。

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 幼馴染が二人の男性に守られながら橋で撮った写真を、見せてもらいました。青い空と赤い橋に、美人の幼馴染とちょっとくたびれた二人の中年男性。とてもいいアングルです。

幼馴染の里帰りの理由

 幼馴染は、お父様の様子を見るための里帰りだったようです。

 私は、両親のことを「パパ」「ママ」というのは気恥ずかしい世代です。しかし、幼馴染は「パパ」「ママ」と呼んでいました。子ども心にもそれが似合うと納得のご両親だったのですよ。特に美人のお母様には、私も「ママ」と呼んでいましたし、何度かお宅に招かれてお料理上手の手料理をふるまってもらったこともあります。

 幼馴染の毎日のお弁当には、必ずピーナッツが入っていました。当時、ピーナッツの理由を聞くと、「頭がよくなるからって、ママが入れるのよ」と言っていたことを思い出しました。ママの願いどおりに、幼馴染は才色兼備の女性でしたし、それは今も変わりません。

 ママは昨年他界され、お父様だけになったとか。寂しいですね。

私の古いニックネーム

 宴が始まれば、近況報告と高校時代の思い出話です。今回の参加者のうち、片思いだった男子とその思われ人が含まれていたので、「あいつは、誰それが好きだった」とか「告白したのに振られた~」とかの話題になりました。そんな情報には疎かったので、「へ~、そんな楽しい話が合ったのね」と感心していました。まあ、その日の午前中にみたダンス高校生を思い出すと、青春ですよね。

 そんな時、幼馴染が私の古いニックネームを口にしました。他の同級生は知らないので、みんなは「??」です。

 「へ~、そんな風に呼ばれていたの?」と聞かれたので、私はそのニックネームがあまり好きではなかったので、高校に入ってできた友達にはそのニックネームでは呼ばないでほしいとお願いしたことを話しました。もう昔の話です。

 その場は「ふ~ん」で終わり、再び他愛のない同級生トークが続きました。

幼馴染からのライン

 翌日、幼馴染からラインが送られてきました。そこには、お礼の言葉の後に、「これからは下の名前で呼ぼうか?」と続いていました。

 「ありゃ、私の配慮が足りなかったのね」と、ちょっと反省しました。「昔の話。今までどおりでお願いします」と返信し、「今度は中学時代の同級生と女子トークをしようね」と約束しました。

 多感な頃の思い出はたくさんありますよね。

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